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416.読書=『働く女子の運命』 [29.読書]

 濱口桂一郎『働く女子の運命』(文春新書、2015年)
 濱口氏の新書はこのコーナーでも、『新しい労働社会』(岩波新書、2009年)と『日本の雇用と労働法』(日経文庫、2011年)を取り上げた。さらに、『若者と労働』(中公新書ラクレ、2013年)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書、2014年)と読み進めてきた者にとって、本書は待望の新書であった。
 日本型雇用システムから女性労働の現状を説明する著者の主張は、これらの新書を読んできた者にはなじみ深く、その意味ではびっくりすることはない。しかし、「どうして女性の働き方はこうなってしまうのか」とボヤッとでも考えてきた者にとっては、改めて、現状理解の肝を示してくれている。
 「給与」とテーマとするこの学習ノートにとっては、「第2章 女房子供を養う賃金」は必読の章なのであるが、「終章」が本書全体のまとめとなっているので、少し長いが、全文掲載しておきたい。

 終章 日本型雇用と女子の運命
 今日の日本における日本型雇用システムと女性労働をめぐる状況は何重にも複雑に錯綜しています。一九九○年代に日本型雇用に起こった変化は、中核に位置する正社員に対する雇用保障と引き替えの無限定の労働義務には手をつけず、もっぱら周辺部の非正規労働者を拡大する形で進みました。それまでデフォルトで差別されていた女性は、男性並に働くことを条件に総合職、基幹職として活躍していきますが、それができない多くの女性は、一般職という安住の地から非正規労働という下界に追いやられていきます。一方、はじめから正社員コースがデフォルトであった男性は、とりわけ就職氷河期の若者(今や中年層ですが)を中心に非正規労働化していき、これが(女性非正規では意識されなかった)「格差社会」問題を意識させるようになります。
 一九八○年代には日本型雇用を勝ち誇る日本経済の原動力として賞賛していたネオリベ派は、一九九○年代にはそれを経済沈滞の原因として糾弾するに至りますが、その際、世界に例を見ない雇用契約の無限定性にはほとんど目を向けず、もっぱら生活給の必要ゆえの年功的昇給を目の仇にし、成果主義を唱道しました。欧米の成果給は契約に定める職務の成果を測ります。しかし日本では、仕事に値段がつくのかそれとも人に値段がつくのかという賃金論の「いろはのい」が全く無視され、職務無限定というデフォルトルールになんの変更もなく、「成果を挙げていないから賃金を上げる」理屈づけの材料として強行されたのです。職務の定めなき成果主義の強行は、評価に納得できない労働者の不平不満の元となり、二○○○年代には批判がわき起こりました。ただその批判は、旧来の「ポストで処遇する」日本型雇用を懐かしむばかりで、将来への展望を開くようなものではありませんでした。
 もちろん、職務の定めなき日本的成果主義という矛盾に満ちた存在も、「”妻子を養う”男の生活費にみあう賃金に、女をあずからせるということ自体が論外」というイデオロギーに悩まされてきた女性たちにとっては、ある意味で福音だった面も否定できません。しかしこの「福音」は、何をどこまでやれば成果を出したことになるのかが不明確なまま、無制限な長時間労働による成果競争の渦の中に女性を巻き込むものでもありました。そのような無理な競争に食らいついていけない女性たちは、差別ゆえではなく自らの主体的意思によってそこから降りることを余儀なくされます。そして、そういう日本的成果主義とはあたかも切り離された別世界のお話であるかのように、二○○○年代にはワークライフバランスの大合唱がわき起こり、ノーマルトラックとは区別されたマミートラックが作り出され、その両側に分断された女性たちがどちらにも不満を募らせるという状況が進んでいるのが現在の姿と言えましょう。
 この多重に錯綜する日本型雇用の縮小と濃縮と変形のはざまで振り回される現代の女子の運命は、なお濃い霧の中にあるようです。


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