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355.トピック=「学校が危ない」 [8.トピック]

 9月20日発行の「週間東洋経済」が、「学校が危ない」と題した特集を組んだ。「教育改革に熱心な安倍政権だが、改革を現場で担う教師に目を向けることは少ない。…」との問題意識の下、「1 先生たちのSOS」「2 変容する学力格差」「3 教育改革の光と影」をテーマに日本の教育の現状を告発している。

 この学習ノートは、教員給与をテーマにその都度考えたことを綴っているのだが、教員の給与制度を考えていくためには、その職務と勤務態様の特殊性についての理解がベースになる。過去には様々な議論が行われ、昭和40年代に一定の制度的結論が出された。それが、現行の教員給与に関わる「給特法・人確法体制」である。しかし、それから30年以上が経過し、小泉構造改革の下で人確法の廃止も含めた見直しが提起される一方、教員の多忙化という現実に対して、中教審WGは教職調整額制度の制度疲労を指摘したのであった。

 教員の勤務の在り方についてはこのノートでも色々な視点から言及してきた。それらを繰り返すつもりはないが、先の「週間東洋経済」の特集記事を読んでいて、どうも首を傾げる部分がある。

 「教師の多忙さを解消する手立てはないのだろうか。/ある現役小学校教師は「残業代を払えばいい。コスト意識がないから、教育委員会は僕らをいくら働かせてもタダだと思っている」と話す。/日本教職員組合(日教組)の組織・労働局長、藤川信治も「多忙化の解決策はただ一つ、残業代をつけること」と明快だ。/藤川は言う。「ホワイトカラーエグゼンプション(労働時間規制の免除制度)を導入すると、働く者がどういうことになるか。教師の現状はその未来予想図を示している。」(p41-42)

 「-先生の忙しさを解消するにはどうしたらいいですか?/C先生 残業手当をつけることだと思う。コスト意識がないから、教育委員会は僕らをいくら働かせてもタダだと思っている。タイムカードを使えば本給より残業代が多い先生がきっと出てくる。」(p45)

 どうもこの特集記事を担当した記者は、「残業代を払えば残業が減る」と思っている。そこに違和感を持つ。本当にそうだろうか…。

 ところで、雇用制度改革を巡って、当初、規制改革会議等で取り上げられていた労働時間規制の議論が後退しているようなのだが、大和総研経済調査部主任研究員である溝端幹雄氏のレポートを読んでいて興味を持った部分があるので、次に抜粋してみる。

 「しかし今回の新成長戦略では、長時間労働の抑制や休日・休暇取得の促進という記述は見当たるものの、労働時間を規制するとは明確に述べられておらず、当初の労働時間規制の三位一体改革が後退している。ホワイトカラー・エグゼンプションの意義は、労働時間に依存しない報酬を受け取ることで、労働者側に長時間労働を抑制するインセンティブを与えつつ、成果と報酬をリンクさせることで労働者の生産性向上を促すというメリットがある。しかし、経営者側にとっては、労働時間の上限規制がないと長時間労働をさせる強いインセンティブが働いてしまうので、やはり健康確保のための厳格な労働時間規制は必須となる。現在、残業に対する割増賃金規制はあるものの、残業時間への直接的な規制は三六協定以外には存在せず、三六協定も労働時間を抑制するための実効性に乏しいという現実がある。今後は、実効性のある労働時間規制を組み込んだうえでホワイトカラー・エグゼンプションの議論をしなければ、中途半端な雇用・労働市場改革によって、むしろ問題を悪化させるリスクがある。」
(「希望をつないだ新成長戦略(上) 改革メニューは示されたが雇用面で課題」2014年6月27日、経済構造分析レポートNo.26)

 このレポートの認識は、このノートで新書を紹介したこのとある濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構労使関係部門統括研究員)が色々なところで主張されている認識と同じ内容と思われるが、先ほど取り上げた「週間東洋経済」特集記事の「残業代を払えば残業が減る」という認識とは真逆といってよいのではないかと思う。
 長時間の残業をいとわないことをはじめ、無限定な働き方は日本的雇用システムの特長の一つであり、濱口氏はこのような雇用契約を「メンバーシップ契約」と名付けられている。氏の解説はすっきりしていて、本当にわかりやすい。『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)や『若者と労働』(中公新書ラクレ)も読ませていただいたのだが、いつもながら、「なるほど」と感心するばかりである。

 ただ、そうは言うものの、まだ釈然としないのである。
 公立学校教員の勤務時間管理については、いわゆる給特法に基づく教職調整額制度によって、超過勤務はいわゆる4項目以外は「命じない」こととする実質的には労働時間に上限規制が存在しない状況に置かれており、「自発性・創造性に期待する面が大きい」との美名の下、教員による「自発的」な長時間勤務に歯止めがかかっていない状況にある。溝端レポートにいうところの「中途半端な雇用・労働市場改革によって、むしろ問題を悪化させるリスクがある」という実態なのではないかと思う。
 しかし、教員の場合、「物理的な労働時間規制を導入しても、果たしてうまくいくのだろうか」と思ってしまうのである。物理的規制を導入することが無駄だなどと言っているつもりは毛頭なく、おそらく、導入によるインパクトは極めて大きいのではないかと思う。しかし、物理的規制を導入してもなお、使用者に刑事罰が適用されないような形態でもって、「自発的」に勤務する教員が出てくるのではないか…。(残念ながら、労基法37条が適用除外されていない私学や国立大学法人における教員の勤務実態を知らない。)

 公立学校教員の勤務の特殊性を現場的な発想に立って理解すると、教育というものは各教師がそれぞれ子どもとの直接ふれあう人間関係の中で営まれるものであって、監督者の直接的な指揮・命令の下で単に労働力を使用するというようなものではないのだ、勤務時間の内外に関わらず、教師というものは校長から一々命じられて職務を遂行するのではなく、自らの見識に基づき、自ら進んで子どもの教育に当たるのだ、というような感覚が強いことから、他の公務員にはない特殊な取扱いが行われてきたのだ、ということにならないだろうか。
 すべての教師がこのように思っているというつもりはないが、このような教師の職務に対する理解は、いったいどこから形成されたのだろうか。しばしば、教育委員会や校長による「強制」に対するアレルギー反応を示す教員が存在していることが報道されるが、「命じられることを毛嫌いする学校文化」があるのではないだろうか。更にそれに加えて、次代を担う子どもたちをはぐくむという教職に対する使命感と情熱、高い授業力や人間性、社会性を磨くべく不断の研鑽が求められる中で、「自ら進んで継続的に努力する精神を持つことが美徳とされるような学校文化」があるのではないだろうか。「文化」と定義することが正しいのかどうか自信はないが、これが、おそらく釈然としないところの元になっていると思う。
 何もしないよりは何らかの対策を講じた方がよいだろう。しかし、残業代を払うことで、あるいは、物理的な労働時間制限を導入することで、そのような「学校文化」は変わるのだろうか…。

 しかし、である。「学校文化」と分かったかのように述べても一向に解決しないし、問題から逃げているようにも思われる。学校現場の長時間勤務問題の解決のためには、確かに困難な課題が多いと思う。教育課程に基づく授業を実施していればOKということにならないのが、日本の教師である。部活動指導がある。生徒指導もある。共働きや一人親家庭の場合の保護者への連絡は夜間になる。受験のための補習もあれば、課題のある児童生徒の指導もあるだろう。全国学力テストが導入されれば学力向上対策が求められる。児童虐待が問題になれば教師に通報が求められ、いじめ問題がクローズアップされれば防止対策を強化される。子どもの貧困対策が課題とされると、福祉以上に学校での役割に期待される現実がある。放課後の居場所づくりや地域との連携事業にも巻き込まれる。とにかく、どんどん増えていく仕事を本当に何とかしなければ、いくらなんでも一個の人間として限界があるだろう。心身ともに健康で、子どもたちに笑顔で向き合うことができなければ、本当の意味での良い教育などできないのではないか…。

 9月20日発行の「週間東洋経済」の特集では、NPO法人日本標準教育研究所が小学校教師2000人弱を対象に行ったアンケート調査で、小学校教師の平均勤務時間は11時間18分で、標準勤務時間の8時間30分を大きく超えている状況が示されたことを取り上げている。同時に、勤務時間30分刻みでの人員分布状況も掲載し、「長い人は16時間以上」となっていることも紹介している。超過勤務実態の個人差が大きいことについては、平成18年度に文部科学省が実施した調査でも明らかにされていたとおりである。この状況の原因には、割り当てられた仕事の量の多寡の側面、すなわち、校長によるマネジメントの問題もあるだろうが、一方で、教員の自発性・創造性の発揮による面との両面があるのではないだろうか。

 元々、部活動指導を教員の職務に含めると、週40時間勤務で処理することは不可能なのであった。だからこそ、当時の文部省は、部活動の位置づけを明確にせず、原則として時間外勤務を命じないことにより、時間外勤務手当の支払義務を負わない自発的な勤務という極めて曖昧な状況に敢えて教員を置いてきたのではなかったのだろうか。それに加えて、家庭の教育力の低下、地域の教育力の低下が指摘される中、ありとあらゆる業務、教育という分野を超える分野も含めた業務が学校の仕事として求められてくる時代となった。これでは、教師が何人いても足りないのは当然ではないか。そのような状況の中では、誠実で責任感の高い教師ほど、超過勤務をいとわず、自らの職責とされた職責を果たそうとするのではないのだろうか。このような教師の行動をいったいどのように理解すればよいのか。民間企業労働者の議論のように、理論的に整理した処方箋を示すことはできるのだろうか。何か、もっと根深い病の元凶があるような気がしてならない…。

 縷々述べてきたが、このノートで解決策を示すことができる訳ではなく、その意味ではこれ以上書き連ねていくのは無責任というものだろう。ただ、今回、平成27年度予算に向けた文部科学省の概算要求では、「チーム学校」という観点から、教員以外の専門職員を増員する要求をしていることに注目している。財務省の壁は厚いだろうが、なんとか、少しずつでもその壁を打ち破ってほしいと願っている。
 (蛇足だが、「チーム学校」というネーミングは、「学校のメンバーが全員で力を合わせて山積する教育課題に立ち向かおう」と言っているように思えて、思わず濱口氏言うところの日本的雇用システムの特長を表現した「メンバーシップ」という言葉を想起してしまい、苦笑するのであるが、兎に角、文科省のかけ声倒れにならないことを願いたい。)

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hokkaidoの高校教師


いつも読んで勉強させてもらってます。
北海道の人事委員会の勧告がでたので、教員の給料の参考になればと思います。おそらく全国連合会のモデルをもとに作っていると思われます
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hj/kuy/h26/bessi2.pdf
by hokkaidoの高校教師 (2014-10-25 12:53) 

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